幸せだったら、もう何でもいいじゃん。日本とフランスの間で子育てして気づいたこと

幸せだったら、もう何でもいいじゃんと語る世界のさゆり 自分の人生を生きる

私、最近ちょっと思うんです。

幸せだったら、もう何でもよくない?

 

もちろん、人を傷つけるとか、ものすごく迷惑をかけるとか、そういう話じゃないですよ。

でも私、人生のかなり長い間、
「人に迷惑をかけないこと」を、「自分がどうしたいか」より上に置いてたんじゃないかなって。

 

そしてその価値観を、自分の子どもにもかなり渡してきたかもしれない。

って最近思うんです。

「邪魔になっちゃうでしょ」

私の母は、周りの人をすごく気にする人なんです。

今でも孫たちに、

「ほら、そこにいたら人の邪魔になるよ」
「後ろから人が来てるよ」

って、よく言います。

私もずっとそうでした。

 

子どもが道の真ん中にいたら、

「ほら、後ろ人通るよ」
「こっち寄って」
「邪魔になっちゃうよ」

って。

もちろん、通り道を塞いでいたら避けた方がいいし、人への配慮って私は今でもすごく大事だと思っています。

だから、「人のことなんか気にせず生きよう!」って話じゃないんです。

でも。

フランスで子育てしていると、時々ものすごく「えっ!?」ってなるんですよ。

鉄門越しに見えるエッフェル塔

パリの道端で思うこと

たとえば、道端でフランス人の親子が3人、4人で立ち話してる。

普通に、道を結構塞いでる。

(笑)

後ろから人が来る。

私は日本人だから、

「あっ、人来てる!」

ってすぐ気づく。

でも、本人たち、気づいてない。

ずっと喋ってる。

(笑)

 

私、フランスに長く住んでるんですけど、日本でよく聞く、

「ほら!こっち来なさい!人の邪魔になっちゃうでしょ!」

みたいなことを、少なくとも私自身は、パリの道端ではほとんど聞いた記憶がないんです。

もちろん、フランス人全員がそうって話じゃないですよ。

ちゃんと道を譲ってくれる人もいっぱいいる。ものすごく気を遣う人もいる。

これは完全に、私が16年生活してきた中での個人的な実感。

なんだけど。

 

昔の私は、これを見るたびに、

「なんでこの人たち、こんなに周りのこと気にしないの!?」

って結構イライラしてたんですよ。

 

ホームシックだった頃

特にフランスに来たばかりの頃とか、日本が恋しかった時期。

もう、日本人の、

「すみません」
「どうぞどうぞ」
「邪魔になってすみません」

みたいな世界がものすごく恋しかった。

フランスで、自分の行きたい方向にズンズン歩く人とか、道で堂々と話してる人を見ると、

「自分勝手すぎない?」

って思ってました。

 

日本だったら、周りを見るじゃん。

空気読むじゃん。

一歩避けるじゃん。

なんで気づかないの?

って。

 

でも子どもが生まれて、見え方が変わった

ところが、自分が子どもを産んで、フランスで子育てするようになって、少しずつ見え方が変わってきました。

フランスの親子を見ていると、私には時々、

「この子はここにいていい」

という前提がすごく強く見えるんですよね。

子どもが多少モタモタしてても。

子どもが喋ってても。

子どもが空間を使ってても。

日本人の私みたいに、瞬時に、

「迷惑かも!」

って縮こまらせない。

もちろん、道を塞ぐこと自体が自己肯定感っていう話じゃないですよ(笑)。

そこは別。

でも私は、この光景を見るたびに、

「自分たちはここにいていい」

という感覚を連想するようになったんです。

ロダン美術館の考える人の像

この↑「考える人」ばりにトイレで悩んでました

私は「ちゃんとした子」にしたかった

そして、そこでちょっと苦しくなった時期がありました。

私は日本人。

子どもはフランスで育ってる。

私自身、小さい頃から、

「人に迷惑をかけない」
「周りからどう見られるか」
「普通はこうする」

ということをかなり意識して育ってきました。

母だけじゃなくて、父からも、周りからどう見られるかを意識するように言われてきた感覚があります。

だから、自分の子どもにも、ちゃんとしてほしかった。

人に迷惑をかけない子。

礼儀正しい子。

空気が読める子。

周りから、

「ちゃんと育てられてるね」

って思われる子。

パリの劇場の客席と舞台

でも、これって誰のため?

でもフランスで子育てしていると、だんだん、分からなくなってきたんです。

これって、本当にこの子のため?

って。

もちろん、社会の中で人と一緒に生きる以上、配慮は必要。

でも、この子が何かするたびに、

「人がどう思う?」
「迷惑じゃない?」
「ちゃんとして」

って言い続けたら、この子も私みたいに、

「私はどうしたい?」より、
「人はどう思う?」を先に考える人になるんじゃない?

って。

それが怖くなった。

日本とフランスの間で迷子になった

でもね。

だからといって、急にフランス式に振り切れるわけでもないんです。

目の前で子どもが道を塞いでたら、私はやっぱり、

「人来てるよ!」

って言いたくなる(笑)。

体に染みついてるから。

でも、フランス人の親が何も言わずに見ている横で、私だけ、

「ほら!邪魔でしょ!」
「ちゃんとして!」

って言ってると、ある時、

私、この子たちに厳しすぎるのかな……

って思った。

日本の良さも伝えたい。

人への配慮も大事。

礼儀も大事。

でも、フランスで私が感じる、

「あなたはあなたでいていい」

みたいな感覚も失ってほしくない。

じゃあ、どこまで注意するの?

どこから見守るの?

何を日本的に教えて、何をフランスからもらえばいいの?

もう本当に分からなくなった。

泣きながら相談した日

私、日本人の両親を持ちながらヨーロッパで生まれ育ったママに、泣きながら相談したことがあります。

「どうしたらいいか分からない」

って。

私は日本人として育った。

でもこの子たちは、日本人でもあり、フランスで生きていく子でもある。

私が正しいと思ってきたことをそのまま渡していいのか。

それとも、私自身がもっとフランス的な感覚に変わるべきなのか。

その時って、ただの「子育て方針」で悩んでたんじゃなかったと思う。

自分が今まで正しいと思ってきた人生そのものが揺れてたんですよね。

これまで私を守ってきた、

「ちゃんとする」
「人に迷惑をかけない」
「人から悪く思われない」

という価値観。

でも、それで私自身は幸せだったのかな?

って。

バリのバルコニーから海を眺める後ろ姿

私自身が、人の目で生きていた

考えてみると私、子どもにだけ言ってたわけじゃない。

自分自身にも、ずっと同じことを言ってました。

親はどう思う?

夫は嫌がらない?

お金かかりすぎじゃない?

わがままじゃない?

人に迷惑じゃない?

もっと手頃なものでいいんじゃない?

私は何かを欲しがると、その気持ちに自分で気づくより先に、却下してた。

だから、海外にも行った。

麻布十番にも住んだ。

会長秘書もした。

フランスにも来た。

ワインの国家資格も取った。

パリでソムリエールにもなった。

外側の世界はめちゃくちゃ広げてきた。

なのに、自分自身にはずっと、

「あんまり場所取っちゃダメ」

って言ってたのかもしれない。

道だけじゃなくて、人生でも。

魅力覚醒講座でひっくり返ったこと

そんな私が、魅力覚醒講座を受けて、ものすごく大きかったのが、

自分の「やりたい」に許可を出す

ということでした。

「私はどうしたい?」

って聞く。

人がどう思うかは、その後。

最初に、私。

これ、私にはものすごく衝撃だった。

だって私はずっと、自分より先に周りを見てきたから。

「私はここにいていい」

講座を受けながら、少しずつ、こんな感覚が出てきました。

私はここにいていい。

私も大切にされていい。

私が何か欲しがってもいい。

お願いしてもいい。

失敗してもいい。

人にちょっと嫌な顔をされても、それだけで私の価値がなくなるわけじゃない。

そして、私は最近、

世界って基本的には私に優しいのかもしれない

と思うようになりました。

もちろん、嫌なことは起こります。

傷つくこともある。

「全て最高♡」

なんて思えない日もある。

でも、嫌な出来事が起きた時にも、

「また私がダメだからだ」

じゃなくて、

「これ、何かの伏線かも」

って少し思えるようになった。

自分の壁を壊すための材料かもしれない。

そう考えると、人生の見え方が本当に変わるんですよね。

雪の降るビラケム橋

あんなに嫌だった光景が、今は愛しい

そうなってくると、不思議なことが起きました。

昔、

「あーもう!なんで道譲らないの!?」

ってイライラしてたフランスの人たちを見ても、最近ちょっと、

愛しく見える時があるんです(笑)。

もちろん、

「いや、そこはどいてくれ🤣」

とは思う。

思うんだけど(笑)。

同時に、

「あなたたち、本当に堂々と存在してるね」

って。

なんか、

「私たちここにいますけど?」

っていう感じ。

勝手に縮こまってない。

「私がここにいたら誰かに迷惑かな」

っていう前提から始まってないように見える。

昔は、それを「自分勝手」と見ていた。

今は、そこに少し、

「自分も世界の一員として場所を取っていい」

という感覚を見るようになった。

同じ光景なのに。

何も変わってないのに。

私のメガネだけが変わった。

人生は、どんなメガネで見るか

あさぎさんが、人生って、どんなメガネをかけて見るかで全然変わる、という話をすることがあるんだけど、私は今、本当にそれを日々感じています。

フランス人は自分勝手。

というメガネで見ると、腹が立つ。

でも、

「自分がここに存在することを最初から許してる人たち」

というメガネで見ると、同じ行動がちょっと愛しく見えてくる。

もちろん、これは私の解釈ですよ。

フランス人本人に聞いたら、

「いや、何も考えてないけど?」

って言われるかもしれない🤣

むしろその可能性、高い(笑)。

でも、私が何を受け取るかは私が選べる。

そこが面白い。

じゃあ子どもには何を渡したい?

今、私が子どもたちに渡したいのは、日本かフランスか、どちらか一つではない気がしています。

日本からは、人への想像力。

誰かが困ってないかな。

これは相手にとってどうかな。

ありがとう。

ごめんなさい。

周りと一緒に気持ちよく生きる感覚。

でも同時に、フランスで私が感じてきた、

「あなたもちゃんと場所を取っていい」

という感覚も渡したい。

人を大切にする。

でも、自分を消さない。

譲れる時は譲る。

でも、自分の人生まで全部譲らない。

相手を尊重する。

でも、自分も同じ一人の人間として尊重する。

たぶん私は、この間でずっと揺れながら子育てしていくんだと思います。

幸せだったら、何でもいいじゃん

そして最近、本当に思う。

子どもが、ちゃんとした大人になることより。

人から、

「いい子ですね」

って言われることより。

周りから見て、完璧な家族になることより。

本人が幸せであること。

私はまず、そこを大事にしたい。

 

もちろん、自分だけ幸せなら他人なんてどうでもいい、じゃない。

でも、人に迷惑をかけないことを人生の最上位に置きすぎて、自分が苦しくなって、

「私はどうしたい?」

が分からなくなるくらいなら、もう少し、自分の場所を取ってもいいんじゃないかな。

 

あなたはどう?

 

何かしたいと思った時、最初に出てくるの、

「私はしたい」

ですか?

それとも、

「人にどう思われるかな」

ですか?

 

私はずっと後者でした。

今でも出ます。

でも最近は、その前に一回だけ、

「で、私はどうしたい?」

を挟むようにしています。

 

それだけでも、人生って少し変わる。

パリの道端の話から、なぜか人生論まで行きました🤣

 

ということで今日は、パリの道端で人が道を譲ってくれない話から、なぜか遠~い人生論まで行きました🤣

でも、こういう、日本にいた時とは全然違って見える価値観とか、フランスで子育てして初めて考えるようになったことって、まだまだいっぱいあります。

もし、フランスで感じる自己肯定感とか、子育てとか、「自分を大切にする」感覚についてもっと聞きたい人がいたら、公式ラインあてに教えてね✨

 

反応をもらえると、

「あ、これもっと話していいんだ」

って分かるので嬉しい♡

そして公式LINEでは、パリでの日常の小さい出来事とか、世界を旅してる時に思ったこと、AIを使って自分の人生や仕事をどう実験してるか、魅力覚醒講座を受けて実際どう変わったのか、YouTubeやnoteよりもう少し近い距離でシェアしています。

LINEのテーマは、

「あなたの人生を1ミリ、自分の方へ戻す実験室」

です!

よかったら遊びに来てね☺️

公式LINE
https://lin.ee/ujFzks97

魅力覚醒講座が気になっている方へ

もし魅力覚醒講座に入ろうと思ったら、申し込みの時に私「世界のさゆり」のアサギストIDを使ってくれると、とても嬉しいです。

私も23期に入る前は、
「実際どうなの?」「私みたいな人でも大丈夫なの?」ってかなり不安だったので、気になることがあったら遠慮なく質問してね~!

私と一緒に仲間になってくれる人、私のAIの経験もフル活用しながら
講座でもサポートするから、一緒に理想をかなえていこう💝

世界のさゆり アサギストID QbH5p8da

コピペ用はこちら↓

紹介者ニックネーム:世界のさゆり
アサギストID: QbH5p8da

それではまた、パリでもお茶しようね~!☕🥐

※本記事にはプロモーションが含まれます。